台湾出身戦没者の碑 日本精神の塔完成予想パース

高砂義勇隊とは

多くの日本兵を救った精強の「高砂義勇隊」

ニューギニア戦を語る上で、「高砂族」を外して語ることは非常に難しい。彼らは台湾山岳地域に住む「原住民」であり、独特の蛮刀を腰に差して峻険な山岳を自在に移動し、中国大陸からやって来た人々とは習俗も言葉も違う。本当はいろいろな部族があって、名前も何も違うのであるが、戦前の日本では台湾の原住民全てをまとめて「高砂族」と呼んでいた。

高砂族は、日本統治時代の教育をどんどん吸収した結果、自らを「日本人」と認識するようになり、日本に対する信頼や忠誠心は、場合によっては日本兵以上のものがあった。大東亜戦争が始まると、多くの若者が「高砂義勇隊」としてニューギニアに送られ、「担送要員」として活躍し始めた。高砂義勇隊員は命令に極めて忠実で、昭和17年のポートモレスビー作戦では、南海支隊の指揮下にあって早速前線部隊への食糧輸送の任務に就いた。

朝鮮人軍属も輸送任務に就いていたが、彼らに輸送を任せると、途中で運ぶべき食糧そのものに手をつけてしまい、前線には予定の半分も届かないということが常にあったが、高砂族は違った。ある時など、食糧を輸送していた高砂族の青年が「餓死」しているのが発見されたが、彼は担いでいた大量の食糧にはいっさい手をつけなかったのである。

このことは、「ここまで命令と任務に忠実たり得るのか」と日本軍将兵を感嘆せしめたのである。また、密林での能力は飛び抜けており、夜目が効き、耳も鼻もよいため、米豪軍の兵士が接近してくると、夜間でも、その音か臭いで遠方から察知することができた。また、鳥の鳴き声の微妙な変化によってさえ、敵の接近を感知したという。

彼らは密林での隠密行動も極めて得意であり、敵陣地にも悠々と侵入してテントから食糧を奪い、食べられる者など何もないと思われていた密林で食糧を探し出し、飢えていた日本兵に真っ先に食べさせたりもした。豚を捕まえれば、自分達は内臓を食べ、美味しい肉の部分を日本兵に渡すなど、彼らの忠実な精神に感動したという話は多い。

彼らが日本軍将兵を懸命に支援した結果、ニューギニアやブーゲンビルで戦い、生き残った兵士の多くが命を救われたのであるが、このことは、後生に必ず記憶されるべき事実だろう。

やがて、戦況は極度に悪化し、運ぶべき食糧がなくなったせいでボロきれのようになった日本軍将兵が追い詰められた時、見るに見かねた彼ら高砂族は、上官に対して「靴を脱ぐ許可」を要請、いったん裸足となった瞬間から、彼らは「頼れる担送要員」から、信じられないほど強力な「戦闘員」に変身した。

「兵隊さん、銃を貸してください」と言って自ら武器を取った高砂兵は、その後、連合軍に積極的に激しい攻撃をかけ、「負傷兵の看護輸送」「食糧調達」のみならず、「狙撃」「奇襲」「偵察」「待ち伏せ」「敵陣地後方への潜入および破壊活動」に至るまで、八面六臂の大活躍をしたのである。

日本の南洋戦略
南太平洋で始まった新たなる<戦争>の行方
丸谷元人著(ハート出版)より

米豪軍に一度も敗北しなかった高砂族「特別遊撃隊」

高砂族の能力に最も着目したのは、陸軍中野学校出身の将校らであった。やがて中野学校は、日本人将校と下士官の下に、特に優秀な高砂族兵士を配属、「特別遊撃隊」を編成して訓練をほどこし、新たにニューギニア北岸やブーゲンビルの戦場に送り込んだのである。

「特別遊撃隊」はまず、現地住民に対する宣撫活動を実施、医薬品や食糧、備品を分け与えて住民から完全なる信頼と支持を勝ち取った。元来、高砂族の言語はニューギニア北岸のメラネシア系人種と同じ「オーストロネシア語族」に属しており、言葉もどこかで通じるものがあったのだろうし、事実その風習にしても、現地民と共通していた部分もあった。そんな背景もあり、彼らは原住民と極めて良好な関係を構築することすができた。

そして信頼関係を構築した結果、現地民に「秘密の道」を教えてもらうなどし、その後の作戦に大いに役立てることができたようだ。特別遊撃隊はやがて連合軍に対してゲリラ戦を各地で展開、時に百名以上の敵兵を殺害し、自動小銃や弾薬を鹵獲することもあった。この部隊は数十回米豪軍と交戦し、死闘を繰り返しながらも、一度も敗北したことがなかった。

特別遊撃隊は、移動や炊事の際には、その痕跡を徹底的に消し去り、敵より先にその接近を察知して襲撃、毎回のようにこれを撃退している。もちろん、敵砲兵陣地や飛行場への夜襲はお手のものであり、暗闇でも方向を失わずに集結して奇襲を敢行、その後、いったんバラバラに散ってから再び所定の地に集結し、まるで霧のように敵前から姿を消す、という戦闘を繰り返したのであるが、こんなことは、高砂族がいたからこそできた芸当である。

昭和19年秋頃、アイタペの戦いで敗北した日本軍を追い詰めるため、豪州軍は新たに「第6師団」を投入、第18軍最後の本拠地ウェワクを攻撃すべく、東セピック州の山間部や海岸線に沿って東に進撃、逃げ遅れた遊兵を追い詰め、あるいは踏みとどまろうとする小部隊を蹴散らしながら押し出てきた。唯一、第41師団の青津支隊が必死の抵抗を試みていたが、物量に勝り、戦意旺盛な豪州軍によって各戦線が相当の圧迫を受けていた。

それを打開するため、同年12月、中野学校出身軍人のもと、日本兵歩兵と高砂族からなる「大高猛虎挺身隊」が編成され、救援のために投入される。「大高猛虎挺身隊」はその後2カ月に渡り、各所で豪州軍に連続奇襲作戦を実施し、全ての戦闘で敵の動きを封じることができた。

食糧は敵のものを奪うか高砂兵が狩猟採集して維持し、武器弾薬も鹵獲品を中心に補給していたので、後方からの補給なしに重装備を維持し、長期間の果敢な作戦行動を可能とした。そして、それにより人的損害を多く出した豪州軍は、ついにこの地域を一気に制圧する意図を挫かれ、以後は慎重に動くようになったのである。

一方、当時は携帯無線などなかったので、「大高猛虎挺身隊」も、戦闘終了後すぐに戦闘詳報を司令部に送れなかった。そのため、後方の司令部では、あれだけ活発だった敵の動きが急に止まったので、その意図がよく判らず、爾後の判断に苦しんだ。後にそれが「大高猛虎挺身隊」によるものだと知り、司令部は大変に喜び、遊撃隊に「殊勲甲なり」と激賞したのだった。

この「大高猛虎挺身隊」153名は、2カ月に及ぶ激闘で兵力を半減させているが、その内訳は、以下の通りである。
戦死:将校1、下士官5、歩兵29、高砂儀勇隊兵0 
負傷:将校1、下士官2、歩兵37、高砂義勇兵0
常に攻撃の最前線に立っていたはずの高砂兵の損害が、全くないことが判る。

かつて日本の特務機関で工作をしていた方の話によると、「マッカーサーが台湾を攻略しなかったのは、高砂族を恐れていたことも大きな原因の一つ」とのことであった。本当にそれが直接的な理由であったかは判らないが、ニューギニアの密林であれだけの連合軍を苦しめたのが高砂兵であると知っていたら、そのような判断がなされても不思議ではない。そうやって日本のために命を落とした高砂族のご遺骨も、私達は、その収容に「道義的責任」を感じなければならない。

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丸谷元人著(ハート出版)より

慰霊碑建立地

一般社団法人日本台湾平和基金会は、この度、沖縄翼友会会員さまのご厚意により、台湾出身戦没者慰霊碑建立地が決定し、2016年6月25日に無事竣工式を行うことが出来ました。多くの皆様のご支援、心より深く感謝いたします。 慰霊碑建立地写真マップ Google-Map

寄付について

一般社団法人日本台湾平和基金会は、台湾出身戦没者慰霊碑建立の竣工式を平成28年6月25日、糸満市平和記念公園内空華の塔の敷地内にて、無事執り行いました。
今回沖縄県に初めて建立した慰霊碑は、多く方の協力により戦後71年目にようやく実現しました。先の大戦で3万人の台湾出身の方々が戦没されましたが、現在、沖縄県の平和の礎には身元の分かったか方々34名のみに留めています。
戦中台湾の人々は日本国民として戦い尊い命を散華されたのです。
慰霊碑の維持管理及び日本・台湾の平和交流に向けご寄付をお願いしています。何卒、ご理解の上ご協力をお願い致します。 Nittaiheiwakikinkai

関連リンク

空華之塔沖縄翼友会

台湾人戦没者慰霊の塔を沖縄に! 台湾人戦没者慰霊施設を建立する会(台湾応援会)

寄付について

台湾出身者慰霊碑建立事業において一口五千円のご寄付を御願いしております。台湾出身戦没者慰霊碑の維持管理費及び運営(日本・台湾平和交流)等に活用いたします。ぜひご理解ご協力をお願い致します。
お問合せについては下側にあるお問合せフォームにてお願いします。

♦寄付者の記録保存について♦

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